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庇護雑記

フィクションだから。

バブル




私が音楽が好きなことくらいはブログのサブタイトルを見ればわかると思うけど、本当に私は他者からの印象やらイメージと実際の私との乖離が激しすぎる人間であるわけです

誰とでも話せるし明るくめちゃくちゃ笑って自由に振る舞って騒ぐ時は騒いでっていうのは世をしのぐための仮の姿なわけ
本来は外にも出たくないし極力人と関わりたくない、ほんの少しの気のおけない友人がいればいい、人の多いところは行きたくない、ひたすら好きな音楽を部屋で聴いていられればそれでいい、みたいな人間なわけで
じゃあ学校での社交的モードは演技なのかよというと、それは全く違うのです
社交的モードの私も本当の私であって、偽りの私ではないのです。演技であって演技じゃない、というか、役者がよく役に入るなんて言葉を使うけどそれに近いものだと思っていて、役者でもない分際でそういう表現をするのはアレですけど役に入っても核の人格が変わるわけではないし、核に影響が及ぼうとも完全に主人格がひっくり返ってしまうなんてことはない、そういう状態だってことが言いたいわけです

だけど私の愛するものはルサンチマンの叫びであったりしちゃって、カテゴライズしようとなるとサブカルアングラに分類されるようなもののわけですね
メインに押し退けられて、排外対象になりやすい非商業的な、なんかBPOから批判きちゃいそうな、そんなものが好きなわけです理由はわかりません

でも私が筋金入りのサブカルアングラを身に纏って生きているのか、というと、それも全然違う
表参道のサロンに通ってるし、デパコス買い揃えたい派だし、だいたい服を買うのはルミネで、友達が結婚した時はグレースコンチネンタルのパーティードレスを着て披露宴に行きたい。ロクシタンもラッシュも別に嫌いじゃなければジェラピケだってくれるもんなら欲しいです、そしてなんやかんやでスタバの新作は買ってしまう
急にキャンキャンとかノンノみたいになる。zipper装苑じゃねえのかよってな。違うんですね。
つまりまあ、要はどうしようもないくらい普通なわけ。果てしなく
原宿系の子に憧れても自力で原宿系になることはできない、渋谷は渋谷の人間が怖いから行きたくない、下北沢の正しい楽しみ方が分からない、高円寺はチェーン系のカフェがないから疲れたって何も飲めない
本当に私はどうしようもなくヘタレでスタンダードな人間だ。頭がおかしいとかぶっ飛んでるとか言われるのは私がどこまでも素直に自由に生きていることを内輪で大袈裟に茶化して表現されているだけ。アンバランスというバランス感覚が抜群に良いという自負はある

だけど好きなバンドのライブにいくと、私とは真逆の人たちがたくさんいるわけですね。何が真逆って説明するのは難しいけども、たぶん見ればわかると思う。「お前ココ合わねえな」って。すんごいビビっちゃうわけ。どこ見たらいいのかもうわかんないわけ。で、私はスタンダードだから明らかに浮くんですね。メインカルチャールミネで服買う私は浮くんですよ。大人になったらデパコスの基礎化粧品を使いたいしメイソンジャーに入ったベリーソーダを好む私は完全にアウェイだ
決して「私はサブカル女じゃないでーす」って言いたいんじゃなくて、本当に私はズレてるんですよ内と外が。それが辛いわけですね、ライブなのに小綺麗な服着ちゃってなにこの子、みたいな目で見られるのが、奇異の目を向けられるのが。でもそんな彼らが熱をあげている芸術が私も真剣に好きなの、大真面目に大好きでガッツリ共感とかもしているわけです。わたしは人からいじめられた経験はないけど、そういう気持ちはわかるんですよ、だって私はたくさん演じてきた人間だから
故に私の精神性は私の周りから持たれるイメージの真逆のものなわけですね。精神の入れ物を間違えたと本気で思ってる。鬼ダサくてどうしようもない男に生まれればよかったって心底思う。なんて言ったらマジでないものねだりだな、と言われて頭叩かれた

でも私はセカイ系だから、痛めのセカイ系だから

退屈で変わり映えのない毎日、心に傷を負った少女、陰のある少女、だけど毎日を求められるように演じて生きてる。そんな時突如美少年が現れて色褪せた日常にビビッドが帰ってくる。私と美少年の行く末が世界を左右し始める、なんてことが起こ






らないんですよ。セカイ系の私が生きてる世界はセカイ系なんかじゃない、現実の世界だから。待てど暮らせど私を救う美少年なんて現れないわけ、私と美少年が世界変えるために動き出すなんてあり得ないわけ。でも幸い私はまだ若いから、真っ青で真っ白だから、
だからもう少しだけセカイ系でいてもいいかなって

いいでしょ?