庇護雑記

フィクションだから。

3億円事件



カオリチャンとかヒトミチャンとかミサキチャンとか、幼き日はその恋の形すら覚束なかったであろうにも関わらず大人になってもずっと秘め続けているひとが多いということに最近気付いた。
いわゆるの恋愛バラード系の歌しか歌わない、メールみたいな何のひねりもない詞をドヤ顔で歌うあの辺のアーティストは完全なるhate対象でしかなかったけど、よく考えてみたら私の好きなバンドの曲でも初恋についての歌が割とあったりするのでした。

初恋だってさ。はつこい???

初恋の人は誰ですかなんて質問あるけどなぜ恋したことある前提なんだ?ってずっと疑問に思ってた。恋とは???ってレベル。回顧するとクラスに必ず1人は過激派な女がいて、「ああ、ナリタ(仮名)が好きなんだな」っていうのをクラス全員が気付いてるというパターンはザラだったけど、ナリタに猪突猛進する彼女を私はどんな目で見ていたかと言うと、感情を失った目だとか、氷の眼差しとか絶対零度なんて友人たちに揶揄されて、それはいくらなんでも酷すぎやろと自分は思っていたけどそれはいくらなんでも酷すぎやろという顔を本当にしていた可能性はゼロではない。本当に申し訳ない。

なんとなく、他者に対して特別な感情を向けることをタブー視していた節がある。なぜかは分からないけど人格形成される過程で自動的にそうなった。外的作用も特になかった、と思う。だから私はそのような状況を目にすると精神構造的に絶対零度スイッチが押されていた。そんな構造を持って生まれてしまったと考えると、私は本当に人を愛することなど不可能な人種なのだ、という結論に達する。

でも最近に限っては、だれかの心の切り傷ですら私は美しく思うようになったし安価な赤いビニール紐でぐるぐるに縛りつけられた心も私は素敵だと思うようになったのです
でもそれをみていると私はこの人たちとは別の次元にいるんだ、と悲観する

ちなみにさっき例で出したナリタ(仮名)は私のことが好きだったらしい。ナリタはよく私の近くにいるなと思っていたけどそんなこととはつゆ知らず、友達に「ねえナリタとお似合いだと思うんだけど」と言われるたびにそっか。としか思わなかった。でもあれはキューピッド役をかって出ていた輩によるキューピッド作戦だったようだ。それをキューピッドから直接聞いたのはナリタと離れて1年後のことだった。私があまりにも気付かなすぎて皆は呆れていたそうだがナリタがはっきり言わないから分からんよ...という私の意見は全スルーされた。ナリタ可哀想だった、と言われた

実際私はナリタをどう思ってたんだろ?きっと普通に仲の良い人くらいにしか思ってなかったんだろうな。でも珍しく嫌悪感は抱かなかったから好きだったのかな。わからん。
皆はたとえ苦く切ない思い出であったとしてもいつまでも心に残る青春の面影があるというのに私は、なんなんだ。全くないじゃないか。哀れに思えてきた。私の友達で彼氏を持つ人が増えてきた。この人たちは私の見えないものが見えてたりするのかしら、なんて思うと加速度的に絶望感が増していく
どれを恋と呼んでいいのかわからないし恋なんて許されるのか?とも思う。一般的に恋とされる感情を私が手にした時、きっと私は自らの手でぐしゃぐしゃに握りつぶしてしまうような気がする。なんとなく、許されない気がするから。
だから私の絶対零度スイッチとはつまり、最大の自己防衛として機能しているのだと思う。誰にも捨てられないための。


愛とか恋とか分かってますから
私もう二度と歌いませんから

 
って最終少女ひかさが


愛とか恋とか分かってないですけど、私もう二度と歌いませんからっていうのはわかる。かなりわかる。
なぜなら杞憂ちゃんは最悪の想定が大の得意だからね