読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

庇護雑記

フィクションだから。

rrky



つまりbecauseが恋でbutが愛なんじゃないの、なんて村上春樹ですら言わなそうな凍死寸前のセリフを言ってしまってそれがあろうことか脳髄に刺さってしまったようで、ボケっとしながらすごく適当に返したセリフがあたかも名言かのように持ち上げられていることにむず痒さを覚えたりしました。


暇なので米を炊きました。ずっと前から思っていたことではありますが無洗米と謳っているのにも関わらず水が白くなる現象、解せぬ。何回も水変えてるのにまだ白いのはなんで。そういうものなのか。


なんの苦労もしてなさそうだと思われてる時はすぐにピンとくる。瞬間湯沸かし器みたいだった時はナメたこと言われると静かに表情変えずにフォークでもぶっ刺してやりたいとか思ってましたけれども、今となってはそんなことでいちいち何のメリットにもならない自己主張をしたってしゃーないので求められたままの世間知らずお嬢さん像を演じて終わるくらいまでには成長しました。
自分が何を見てきたかとかどんな目に遭っただとか、そんなものは私にしか理解できないしその瞬間の痛みを手に取れるのも自分だけだから面白くネタにできる不幸話以外は片っ端から重りでもつけて東京湾ゆきですが、嬉々として自分がいかに哀れで苦労人かということをべらべらとのたまう光景を目の当たりにすると、こいつは感覚が完全に狂っちまったか大いに脚色してんじゃねえかと疑ってしまうようになってしまった。私も私で捻じ曲がりすぎであるが、でも本当に消したいぐらいの記憶とか痛みなんてそう簡単に人には話せなくないですか。ちがいますか。
もし彼女らが大勢の人に話して同情を買うことがその傷の治癒を早める方法の一つであると知っていての行動だとするならばやっぱりまだまだ私は生きるのが下手なようです、が、上手になる気はさらさらありません。
私は弱い人間ですけれども、譲れないものとかプライドとか自分の掲げた正義とか、そういうものだけは絶対に曲げたくありません。その意味で言えば強い人間であると自称できるかもしれません。

ただ、たとえ損をしてでも頑として流されまいとしている自分は本当に可愛げがねーなとは思う