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庇護雑記

フィクションだから。

舞い上がる塵

 

寒かった。

冷たい風が容赦なく吹くせいで細かいラメの入ったグロスを丁寧に塗った唇に髪がくっついて最悪だしデニムのスカートですら捲れそうになるし氷みたいに冷えきった手を温めるために自販機で好きでもない甘い飲み物を買った。こいつは駅から徒歩2分の会社につくまでの短い命だ。デスクに置かれたそれは一瞬にしてぬるくなりただの甘すぎる液体に変わったために給湯室のシンクに流れていった。130円。

 

風に吹かれてるうちに自分の身が散り散りになっていく気がした。キーボードを叩く指が自分のものでない感覚に陥る。受話器から話しかけてくる地方の取引先相手の声が非現実味を帯びていくのを感じるけどなかなか現実には引き戻せない。

目を合わせて笑ってみたり、合間に雑談を挟んだりくだらない冗談を言ってみたりしながら、手元の裏紙に書きなぐった呪詛の言葉を誰にも見られないように1枚1枚丁寧にシュレッダーにかけた。裁断されていく音が好きでどんな作業よりも大切に行う。

 

なぜだか悲しかった。いつも改札に立ってるメトロの駅員さんの髪が短くなってたこととか、毎日来る宅配業者の人の肩が雨に濡れてたこと、誰も欲しがってくれない注文書のコードが実は1桁間違ってたこと、投げかけたけど届かずに掴んでもらえなかった声、とか。

私だけが気付いてるけど誰にも引っかからなくて流されていくこと、多分たくさんある。

私が気付くことで私の心にかすり傷ができたとしても、私にはなんの関係のないことだってたくさんある

隣の部署にいて毎日、共通の話題で少しだけ話す地味めの雰囲気の女の人の胸が超でかくてびっくりしたのは今日のことだ。マスカラを変えたせいで私のまつげが抜け落ち始めたまつエクみたいにところどころで長さがバラバラで納得いかずに1日過ごしたことは誰も気付いてない。

私がどんな想いを抱えて笑ってるかなんて誰も分からないだろう。

自分の好きな人の評判をみるとだいたい落胆する。ロリコンとかヒモとかチャラだとか。

それらは私の人生に何の関係もないのに少しだけなにかが削り落とされた気分になる。人の目に晒されないようになるべく早くウィンドウを閉じる。みんなは知らなくていい。

 

誰も知らないうちに私は消えて、はじめからなかったものになっていくのだ。じゃあまたね、バイバイ、と笑顔で手を振って相手が見えなくなった瞬間に真顔に戻ってスマホの画面を見つめるみたいに。振ってた手はポケットに仕舞われてまわれ右して歩き出すみたいに。色んなものにお互いが背を向けあって離れていく。繋いだ手も冷たくなっていくのだ、最後は。そのことを考えて、誰よりも先に考えているから砂みたいにパラパラと目に見えないくらいの細さになって空で散りたいと思ってしまう。強風でどこからか飛ばされてきた新聞紙みたいになるのは無様にも程がある。

 

130円2分の命。私はそれと大差変わらないことに私だけが気付いているこの世界で、あっという間に記憶から流されていくそう遠くない未来に対して、もがくこともせずただぼうっと待っている。待ちながら自販機で買ったまだギリギリあったかいカフェラテを喫煙所で飲みながら下書きを更新して晒す。