庇護雑記

フィクションだから。

山田亮一が死んだら私は生きるのをやめる

 

 

NO MUSIC NO LIFEって糸井重里が考えたんだっけ。ちがったらごめん。

そのロゴTを着ながらもヘッドホンを首にかけてるやつ、今お前死んどるやんけ、なんて思いながら、twitterで邦ロック厨たちの謎のハッシュタグ、日曜日だからなんたらかんたらってやつを横目に、bioに「邦ロックは酸素。」なんて痛々しいポエム書いちゃうような輩に寒気を覚えつつも、私は素で、素面で、山田亮一が死んだらこの世に生きてる意味を失う気がしているのです。のーやまだのーらいふ。みたいな。

 

あの特徴的な叙情的な言葉も日常で目に映るものをうまく組み込んだ比喩も好きでたまらない

ハヌマーンの頃は~だの、バズマザーズハヌマーンよりも〜だとかえりっさとかピクミンとかそんなのどうだっていいんだよ。今は重松とせんちょーが支えてんだよ。わたしはその2人と共に爪痕残してほしいと思ってるよ。山田亮一が紡ぐ言葉と掻き鳴らすギターの音を聞き続けられるのなら形態なんてなんだっていいんだよ。潰れて欲しくない。潰されてほしくない。

日曜の夜は、大好きな音楽の渦に飲み込まれながら弊社突然砂になって新社屋がみつかるまで営業ストップにならねえかなとか思ったりしてましたけどそんな生活もあとわずかです。

 

だけど山田亮一の音楽がこの世で更新される限りはまだ死にたくない。山田亮一の生き様をみるためにわたしはまた立ち上がる。さっきからずっと呼び捨てにしているが敬称略だ。

 

 

どんなにきたないことしてもゆがんでも、

あなたは最後まで生きて。

その後じゃないと私は死ねない。