庇護雑記

フィクションだから。

彷徨う

 

 

対角線上にある間接照明だけをつけて人工的な冷たい風を浴びながら、好きな人の声を聞いている時が私は一番幸せなような気がする。

イムリミットまでをどのように過ごすべきなのかわからず、なんとなく部屋にポスターを貼ってみたりイヤホンではなくスピーカーを繋げて音楽を流してみたり、新しい本を買ってみたものの活字ダイブする気力もないために手持ち無沙汰に定位置に戻る。そんな感じ。朝起きたら4枚貼ったポスターのうち3枚が落ちていました。おはようございます。

 

精神科に行くぜって日はなぜか、私は精神を病んでいますと言わんばかりの顔面蒼白メイクで、普段命を懸けている赤リップを塗らず適度に血色を得られるくらいのグロスを塗る。電車に揺られている時も何故だか知らんけどいかにも精神を病んでいますというような目で車窓を眺めていますし、街を歩く時もそれは同様に死んだ魚の目を眼窩にぶち込んでふらふらと精神科のビルのエレベーターのボタンを押します。その精神科は8階にあって、外階段を上って9階のカウンセリングに行く。考えられないほど手すりが低くて段差が高くて、なんて転落死しやすい階段だろう、と思いながらいつものぼってる。

一方大好きなライブに行く日は、ライブに適しながらも最近の流行を適度に取り入れたファッションに身を包み大量の赤リップコレクションからお気に入りのヴィンテージレッドを唇にのせ、音楽を聴きながら車窓を眺めます。栄えた街を歩けばすみません、芸能事務所の者ですがもうどこかの事務所に所属されていますか、なんてスーツの人が飛んでくるのも慣れたもので、左手で名刺をもらってバッグに放り込む。どちらも同一人物の挙動である。

病は気からってのは、あながち間違いではないのかもしれない。しかしジェイゾロフトからデパスに切り替えた私はなかなかに調子が良い。割と圧倒的に調子がいい。泣くこともなければリストカットもしてない。デパスはやはり救世主なんだろうか。

しかしこれはもう生まれ持った性質ということが近頃わかったんだけど反社会性の人格要素があると言われたのはだいぶ衝撃だった。その病院の帰りにどう考えても避けられるはずの通路で私に激突して通り過ぎていったサラリーマン二人、あいつらぶっ殺してやる絶対にぶっ殺してやると目から出る殺意を抑えつつ冷めた顔でレジに並んでた。

刺し殺してやると思うほど腹が立つジジイが多い、本当に多い。世の中クソジジイだらけだ。そいつらは総じて清潔感が皆無だ。救いようがない。社内でも嫌われてんだろうな。なんて思いながら私はいつか本当に、感情が理性をぶっ壊した時は人間を殺めてしまうのではないかと内心不安に思うことがある。杞憂だ、と笑う人もいるだろう、しかし私には、法に問われることから逃れることのできた罪がある。子供の頃、ギリギリで踏みとどまることのできた罪だ

もしも私があの時暴走した憎しみと憤怒のブレーキを踏むことが出来ていなかったら、少年法に守られた少女Aとして、ニュースを賑わせて

 

 

犯罪者にはなりたくない、そんなもの、なんの得にもならない。私の人生をつまんねえクズによって潰されるだなんて絶対に嫌だ