庇護雑記

嘘たち

アルカリ

 

同じクラスの時はすごく仲が良くて、移動教室ではいつも一緒に行動するし、給食も一緒に食べる。休みの日は近所の栄えた町へ行きプリクラを撮ってチェーン系のファストフード店で何時間も話す、というほどの友達ですら、クラスが変わってからしばらくの間は廊下ですれ違った時にワァーと挨拶ともとれるような謎の交流があったけれど、いつしかそれもなくなってきていだんだん視界にも入っていないかのようにお互い白々しく目をそらすようになった。喧嘩もしていないはずなのに何故か気まずい雰囲気が漂って、お互いどこに進学するのかも知らないまま同じ制服を脱ぎ捨てる、という一連の流れを思い出して目の奥がヒリヒリと傷んだ。
いまどこでなにをしているかもわからない人の飲み会とか残業とか、そんな日常の断片だけが流れてくるSNS類にかの廊下で感じた無味乾燥な匂いを強烈に思い出してすべてを削除した。視線が交じり合わないのにわたしの生活を横切ることがとてつもない違和感に思えて、わたしは心底こういうの向いていなかったんだなと自覚した。
繋がっている人はいつでも繋がっているというのに、どうしてあんなにくだらないツールにしがみついていたんだろうと考えると、藁をも掴む思いだったんだろうな。卒業おめでとう、過去のわたし。

 

とんねるずのみなさんのおかげでした、という番組が先日終わった。世代ではないから過去を振り返る映像は3分の1くらいしかわからないのに、9時55分を過ぎる頃にはボロボロと涙が止まらなくなっていた。
ちいさいころ、父と一緒に毎週みていた記憶がある。父が作った夕飯を食べて、とんねるずをみて笑う。料理は普通に美味しかったあたり、意外と器用な人だったのだと思う。みなさんのおかげで「したっ」の声がちいさなころは何故か怖くて、だから余計にはっきり覚えている。番組が終わるころに父は自宅へ帰ってしまうので、ずっとこの時間が続けばいいと思っていた。母が数分でも早く帰宅していたら、みんなであの番組がみれるのにとさみしがりながらも木曜の夜が毎週楽しみだった。
わたしと父を結びつけるものがまたひとつ消えてしまった。ひとつの番組の終わり、とわたしの中でなにかが重なり合って、絶望的に親の存在を思い知らされた。この年になってもまだわたしは父と母の間に宙ぶらりんになって、左右の手が伸びきってしまってもなお掴んだ手を離すことが出来ずに、どうしようもない現実と変えようもない過去に苦しみを募らせているようだった。すべてはここに帰結するのかもしれないと思うと目眩がしてくる。自覚しているよりもずっと痛みが激しいことに呆れの気持ちすらある。そうしてわたしから欠落した諸々を埋め合わすかのように、膝の上で丸くなる猫を愛でながら今日を過ごしました。