庇護雑記

嘘たち

zodiac

 

シンプルに電源がついているだけのテレビから死体農場とかいう言葉が流れてきてビックリした。クレイジージャーニーだった。めちゃめちゃ尖った番組だってことだけは聞いたことがあったけど、見るのは初めてだった。

深夜とはいえ地上波なのに干物みたいになった元人間が映し出されてた。元人間なんて言ったら怒られるかもしれんけど、あれが人間だったものであるとは到底思えなかった。皆あーいう風になるのだしなんならあれと同じだ。あれに名前がつけられて、エネルギーに動かされている。元人間はなんていう名前で生きていたんだろう。

 

久しぶりに文章を読んだ。漢字に変換する言葉、あえてひらがなを使う言葉、行間のあけ方や文章のテンポにそのひとの人格が散りばめられていて、その人格のひとつひとつをわたしは拾い上げることができた。ひとつ残らずではないけれども、わたしは確かにその一言一句から葛藤の中に生きる人格を掬った。これはわたしの愛だ。不安定で無色透明の愛だと思った。きみがアウトプットして作ったきみのコピーから、きみを見い出すことができる。この尊さを、切なさをわたしは抱き締めている。

 

命を動かすのは葛藤だ。幸せと葛藤は共存するのかわたしにはわからないけど、たぶん幸せを感じたとしてもわたしの中から葛藤が消える瞬間はないと思う。あの作り物みたいな元人間になるまで葛藤から解き放たれることはないだろう。でも葛藤こそが現世とわたしを繋ぎとめてるのかもしれないと思ったりもする。

実はの話、人間は作り物だ。プログラムだ。だれかのお昼寝中に拡大していった夢だ。なにを言ってるんだと人は笑うだろうけれども、どれが虚構かなんてたぶん元人間になるときまでわからない。もしかしたら、そこからが本当のスタートかもしれない。そう考えたら、わたしがこれまでに抱いた感情すべてが干物みたいになった時のスパイスになるかもしれない。きみが苦しんで嘆き散らした言葉が香味になっていくかもしれない。

 

犬も食わないような不味い人生でいいのか。わたしは美味しくなりたい。きみもなりたいだろう?

 

なんて