庇護雑記

嘘たち

タピオカ元年

 

職場の目の前にあるでかい商業施設(下は飲食店上は20階分くらいオフィスが入っててめちゃくちゃでかい。でかいビルは怖い。)にお昼をよく食べに行く。こないだもお昼の時間にそのビルに入っている魚系の定食屋に行って鯖のみりん干しを注文し音楽を聴きながらぼーっとみりんで干された鯖が運ばれてくるのを待っていたら人類の敵である小さいgがカウンターの上を散歩していた。この敵とはここ半年の間にこの店で2回遭遇している。1回目は大きく息を吸い込み絶叫しそうになったところをギリギリで食い止め、無言で立ち上がり席を変えてもらったが、今回は脳の血流ががくんとスピードを落とし、この世のすべてを諦めるしかないという心境になった。すべてを諦めつつ、すべてを呪っていた。なにが楽しくてgがわたしの鯖に「ちょっと寄り道」しないようにその動向を監視しながらご飯を食べなくてはならないのか。いままで生きてきてあんなにまずい飯はない。あれが最後であってほしい。あの日わたしは、まさか自分が今日人生最悪の飯を喰らうことになるなんて露も想定していないまま朝に家を出て電車に乗り仕事をしてという日常を遂行していた。人生とは常にサプライズで満ちている。そしてそのサプライズは往々にして安寧をぶち壊しに来やがる。悲劇こそが人生…。

 

職場というのは5万周くらいして面白い。わたしはたぶん無意識のうちに付き合う人を選んできたように思う。しかし職場となるとそうもいかない。そして長年のツケが回ってきたとでも言うかのようにわたしとは全く違う人種のるつぼにわたしは沈められている。でもまあ言い換えればこの環境は忍耐を鍛える場だ。情熱や熱意などといった燃え上がる感情とは縁遠い精神性ではあるものの、忍耐こそが人間を強くするということは悔しいが私も知っている。避け続けた泥臭い感情と対峙しなければならない時がついにきたのかもしれない。残念ながらこれはチャンスだ。逃げない、というチャンスがきっと差し向けられているのだ。これをクリアしたわたしに与えられる褒美とは果たして...?

臨時で会議が開かれることになって、議題もわからぬまま先輩とぷらぷらと会議室に行ってみたらすげえ偉い人が座ってて笑いそうになった。社会性が欠落しているから偉いおっさんが回転椅子にデーンと座ってるの見るとゲラゲラ笑いそうになってしまう。社会不適合みが絶望的なベクトルに爆走している助けてくれ。だって偉そうにしてるのに回転椅子に座っている姿めちゃくちゃ面白いじゃん...どんなに偉くてもわたしが背後に回って背もたれを掴みグルグル走ったとしたらその偉いやつもグルグル回るんだよ、ヤバすぎる。瞬時にそういう妄想がはたらいてしまうので日常生活においても誰にも共感されない地雷が多々存在する。その地雷が突然爆発しやがるたびにわたしが社会的に死ぬ。これもまた忍耐の場における困難・障壁なのかよ、特殊すぎる

 

学生の頃は雨が好きだったし雨音でテンションが上がったりしていたのにここ最近の雨は本当に堪えてしまう。朝起きて雨が降っていると布団まで逆戻りしたくなる。なんていうか東京と雨のコラボレーションが地獄。都市の発展とか進歩とか、そういう希望が全部洗い流されていく感じがする。山形と雨のコラボレーションならいいのか?山形行ったことないけど...

高校生の頃授業中に激しい雷雨がおこると異様なほどテンションが上がっていた。似たように触発される友人もいて、授業が終わるやいなや中庭に激しく打ち付けられる雨粒の観賞をしたり会話の妨害になるほど大きい落雷の音に興奮したり、意味のわからない興奮ポイントを共有してはしゃいだりしていた。だけど今ではきっとそんなポイントは消え失せてしまったであろう

大人になってしまってどうでもいい分別までつくようになって、失いたくない感性を失ったり信じたいものを信じる力を失ったり、できるだけ地面と水平になるように伸ばし棒で価値観を何往復も痛めつけられているうちにえ、人生ってなんなの?これが正しい日本での生き方なの?という漠然とした不満を腹の底で滾らせながら生きている。もう大人なので酒を飲むと記憶がなくなる人の言葉を信じてはいけないとか、本当に信用できる人間にしか人生の話はしてはいけないとか、いくらその人を信用していたとしても人格なんて環境であっという間に形を変えるから永遠なんて存在しないのだということとか、そんなことはもうよくわかりましたバッチリです!って感じだけど失うことに人生の妙味を見出すことだけはしたくない。

私が働く職場のグループにはいま激震が走っていて、ついにトップが降りることになった。トップの座を失うという打撃は関係ないわたしにとっても結構な衝撃である。この人立ち直れるのかなと思うと居たたまれなすぎてしんどい。妙味として開き直るにはキャパが足りなすぎてまだ毒を薬にすることはできない。時代の幕開けと波乱の幕開けはほぼイコールだ。じゃあ大人になったわたしが務めるべき役割は?忍耐の上で上演される舞台は何としても喜劇で幕を下ろしたいんですが。