庇護雑記

嘘たち

只者にはなりたくなかった

 

ライブハウスに1人はいるカルト宗教みたいな踊りをしている女みたいにはなりたくない、なんて思ってるから未だに隅っこの壁に背中をつけて佇むことが多い。幽霊かよ

 

わたしは何にも縛られることなくどこにも根も張らず、あの雨の日にみた、池の水面に漂う無責任な浮き草みたいに生きていきたいなんて思ってる

住みたいわけではないし住んでいたこともないけど、あいりんや山谷などのドヤ街の街並みが好きだ。いつからかはわからないけどなぜか好きだった。荒廃したものに美を感じる。一般的な美に背く姿が物哀しくて、壊れるギリギリに炸裂するもがきに美を見出してしまう。もののあわれ

19の頃に友人と夜の新世界を歩いたことがある。ライトアップされた通天閣をみて、その下の串カツを食べるために赴いた。ユニバーサルスタジオ帰りの浮かれた学生が、颯爽と新今宮駅の改札を飛び越えるその前に、誰かひとりくらいはただならぬ雰囲気を察するべきだったのではと今となっては思う。でもあの時、まじで楽しかったな

なぜかやけに街全体が暗く、人も歩いておらずまるでRPGの世界のようだった。この先の角を曲がったら怪物が出てくるんじゃないか、と思うほど不気味な雰囲気を湛える道を通り抜けてありついた串カツは想像の範囲を満たす味で、通天閣は節電のため7割程度の電力でわたしたちを迎えた。

さすがに通天閣周りは飲食店が立ち並んでド派手で品性のないネオンが建物の側面をぎゅうぎゅう詰めにチカチカ光っていたけど、駅までの帰り道に寄った耳馴染みのない名前のコンビニは商品棚がスカスカだった。頭にハテナを浮かべながら駅の自販機で買った紙パックのコーヒー牛乳はやけに安く、小躍りして2つ買った。

 

暑すぎず寒すぎない季節にまた行きたい。1人でもいいし誰かと一緒でもいいから、あのヘンテコな街に行きたい。新世界は「人生の終着駅」と呼ばれているらしい。通過点にはなれない宿命を背負った街の哀愁がやけにカッコ良く思える。

串刺しの畜肉を悪い油で揚げる匂い、ジーザス