庇護雑記

嘘たち

蛇の道

 

人が散ったあとに目と声の色を変えているところをみてぞっとしてしまった

きっとがまやかしであることを受け入れるためには何が必要だろうか。そのまやかしに毒されて痺れたままのほうが良いのではないか、と思ってみたりもしている。

悪人だということは知っている。でも腹の底までがちがちに焦げついているわけでは、きっとなかろうと思いたくて見て見ぬ振りをしていたのだけど

 

サイコパスの目付きは、ヘビのようにジトーっとしていて瞳の奥まで真っ暗だと聞いたことがある。そんな人にはまだ会ったことがないなと思った。

火のついた煙草を片手に遠くを見る奴の瞳、あまりにも深い闇でしかなくて、なんとなく予想はついていたとはいえ時が止まったような気がした。

時を止めた私に気がついてゆっくりと視線を移動させて交差した時の私、まさにヘビに睨まれたカエルを体現したようで笑えた。

本物かもしれないなんてことは、初っ端から予感はしていたけどやっぱり、が重なると残念でたまらなくなる。

あなたの本当の姿はどこにあるの、と聞きたくなってしまう

 

 

 

 

炭火の消し方を君は知らない

 

知ってます?

水かけてもいいけど他の方法あるんだよ

 

ライブを観たあと空腹に耐えかねて渋谷のマックに初めて入った。絶対綺麗じゃないだろうなって思ってたからよっぽどのことがない限り入ろうなんて思わないのに、よっぽどがこんなにあっさり訪れるとは思わなかった。

2階の窓の外を臨む席でぼんやり人の往来を眺めつつ向かいの牛串屋さんの炭火をみてた。おじさんが炭の処理をしているところだった。あの消し方って一般的なのかな。確かに毎日使うのに水ぶっかけるのは実用的じゃないよね

 

渋谷のど真ん中にある名の知れたライブハウスで、半端なくカッコいい音楽がなされた瞬間に私は立ち会わせていたんですが

外はこのバンドの音楽のイントロすらも知らない人で溢れかえっているわけです、そんな人々に囲まれながら私たちは秘密の遊びに興じてるわけです、最高じゃないですか。ある種のテロリズムを感じてやっぱり私はこういうのが好きなんだと再確認した。ソールドアウトはしなかったあのライブを私は噛み締めたという幸せ、君はわかるかな

 

みんな気付いてるか、もう一生席替えのくじを引く時のドキドキは味わえないし、メールの返信を待ちかねてやるセンター問い合わせももう存在しない。生を重ねるということは何かを失い続けるということだ。得ることもあるけれど、圧倒的に喪失の方が多い。その証拠に日々、命の期限をひとつずつなくしているわけで

得られなくなる前に欲しがっておいた方がいい、逃す前に捕まえておいた方がいい。知らないより知っていた方がいい。その瞬間に後悔したとしても傷ついたとしても、私はやっぱり知りたいと思うことは知っておきたいと思うのです

 

渋谷のマックでシェイクを吸うパリピ風の男が「幸せがほしい」と大きな声で言っていて、私とこんなにも正反対の人でも最後に欲しがるものは同じなのだということに笑えた。たまたま操作ミスをしてイヤホンが黙り込んだ瞬間に飛び込んできた声だった。知ろうとも思わなかったことが目の前に降ってきて、その瞬間心がどう動くか、なんて今まで知らなかった。

 

私の欲しいもの、君は知っているかな

 

 

ひかり

 

10年前のきみの禍根は今でも美しくて、長い眠りから醒めた直後でもその圧倒的な煌めきが失われていないことに絶望した。

2018年が刻まれ始めたこの世界で、きみが焼きつけて煤だらけになった過去ですらも私を捕まえて離してくれないことに嫌気が差したからだった。どうしようもないきみが見つけ出した私も、どうしようもないのだ。

 

きみは本当にどうしようもなくて、救いようもなかった。だけど私の頭の上へと投げてくるきみの数秒前の思考はいつも私を驚かせたし楽しませてしまった。チカチカと色を変えるきみの目は憎たらしいほどに無邪気で、その指が弾いて散らした火花はなによりも綺麗だったから、私はもうなんだってよかった。

繁華街を歩きながら、大きな麻の香りに気がついてもなにも言わなかった。ふつうのひとはね、これがなんの香りかだなんてわからないんだよ。だから得意げな顔をするのはこの一瞬だけだからね。酩酊した学生を笑いながらネオンを駆けていく姿を後ろから眺めて、なんだか香港の映画みたいだと思った。小指に絡んだ細く白い煙があればどこまででも走っていけるような気がした。

 

君が両手では抱えきれずに、今にも破裂しそうだった風船がきみを飲み込んで真っ黒に染めてしまっても、私は白に塗り潰して煙をきつく結んでしまう。きみが闇から逃れようと足掻いて、雨に濡れ溺れて、手のひらを藁で切りながら迷子になったとしても、私は小指から狼煙を下ろしてしまうだろう。

新しい夜明けが追いついてくれるまで。

 

 

 

2017年聴きまくった5曲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱ90年代は最高。

 

良いお年を。

 

 

☆ is here.

 

認めたくはないですが最近元気です。なぜでしょう。別に何もないんですが、ついうっかりここ1ヶ月ほどすこぶる調子が落ちませんで先日は千葉のド田舎にあるショッピングモールに友人の運転でいきました。夜はコントみたいな豪雨をモロで受けてゲラゲラ笑いながら帰りました。平和ですかね。ちなみに助手席で延々と喋りコーラを飲んでいただけなので私は何ら疲弊していませんでした。

かまってちゃんのの子は、がっくーんと落ちてそこから這い上がる時に曲ができる、って昔から言ってるんですがあれ結構私も分かるところがあって、一回落ちないと筆が進まないんですよね。執筆の話です。しかし落ちるタイミングが待てど暮らせど訪れないのでまあ進んでないです。平穏と引き換えに私の能力が...っていう、贅沢ですね

 

母親孝行の一環で一緒に映画を観に行きました。

 

映画『オトトキ』

 

母が20年以上追っている伝説的ロックバンドthe yellow monkeyのドキュメンタリー『オトトキ』です。私も小4くらいから聴いてます。なんなら私の初ライブは野外フェスに連れていかれてみたイエモンでしたね。余談ですがその時もコントみたいな豪雨に降られて幼女のくせに般若みたいな顔をしていました。

イエモンのメンバー、両親と同年代なんですがちょっとカッコよすぎではないですか?ゆーてうちの親もだいぶ若く見える方ではあるんですが、なんかもうレベルが違いすぎてスターって人間じゃねえのかな?と錯覚し始めます。誰一人としてハゲ散らかしてないしスタイル抜群。ヒーセに至っては今の方が若い頃よりかっこいい気がするのですが。いしだ壱成は未成年にうつつを抜かしてないでちゃんとイエモンの皆さんの頭皮を見習ってください。

 

でこの映画ですが。花の蕾から開花までのイラストに合わせて結成〜解散~再集結の流れを示すシーンがあるのだけど、個人的にそこの作りがすごく好きでしたね。自分は24なものでイエモンの全盛期とその頃の時代背景っていまいち分かってなかったのだけど、阪神の震災のニュース音声とかイラク戦争(たぶん)の中継音声とイエモンの楽曲が一緒に流れて、自分の子供の頃の記憶に空間的な厚みが生まれたっていうか。よく分からないですね。とにかくそういうシーンがあって、とても良かったのです。

 

再集結を果たした後のイエモンのおじさんたち、本当に仲が良くて見てるこちらも微笑んでしまう感じなのですが、人として生きる以上避けられない事柄に直面する場面でも容赦なくカメラがまわってるんですよね。しんどそうだなぁとか、可哀想だなぁとか、おそらく人前に出る仕事をしてる人間にとって、ましてやミュージシャンっていうカッコつけてなんぼの人たちからすれば、そういう弱点のかたまりと化している時の自分ってだいぶ他者には見られたくない部分であると思うのですが、やはりそれすらもカッコいいんですよねえ。悲しみに痺れながらもステージに立つ姿とか、身体の不調に苦しむ姿とか。「痛みに耐えるスター」ってなんであんなに映えるんだろ。全部ドラマになってしまうんだよな。どんな状況でも主人公たちを色づけるものとして自らの世界に引き込んでしまう力を感じました。完全無条件降伏でしょう。バチクソにカッコいいです。

ここまで書いてみてふとイエモンが父親と同世代という現実にめまいが止まらなくなったので壁に頭を打ちつけています。つかこの世には吉井和哉さんを「お父さん」と呼ぶ人間が数名いるんですよね??信じられねえよ????あんなのが父親ってなに?もうクラスの男子とかゴミにしか見えないじゃん。

 

 

 

 

ゴミにしか見えないじゃん。

 

 

THE YELLOW MONKEY is here.

っていうコピーが再結成時に出ていたんですが、これ多分イエモンを追い続けてきたファンにとっては激ヤバワードだと思うんですよね。イズヒアですよ。十数年前に解散したバンドがイズヒアって言ってんだよ。やべえ。おまけに映画のエンドロールに流れてた曲、歌詞の中で「そばにいるよ」的なことを言ってたんだけどやべえだろ。どんな乙女ゲーだよ。もうやべえしか言えないですしIQが3にまで落ちました。それを成長して成人を過ぎた自分の娘と観ているうちの母がちょっと羨ましくなりました。私までイエモン好きで良かっただろ!感謝してくれ!!!とか思いました。冗談ですが。

ほぼデビュー時に子供が生まれーの、小学生になりーの解散しーの大学まで進学しーの卒業しーのバンド再集結ですよ。一緒に代々木の復活ライブへ行きましたし、こうして映画も観てるわけです。母のヒストリーを垣間見た気分にもなりました。20数年って長いですね。歳もとるわけだなぁ…

レジェンドが更新されることって本当に奇跡なんですよね。50年生きることだって難しいし、それだけ長い間音楽を続けることもなかなか出来ることじゃないと思う。もう二度と再結成することが叶わないバンドのことを思うと、現在のオリコンチャートにイエモンの名前をみるってとても幸せなことだと思う。90年代にタイムスリップしたかと目を疑うよ。2017年にその名が刻まれて、その場に立ち会うことが出来た幸せを噛み締めてます。

 

そんな感じです。

 

 

サレンダー

 

きみのからだから生えたそれから私の指紋がみつかったら、それはわたしがきみを染めたのだという証拠になるだろう。わかりやすく罪を被るのことがわたしの役目だ。どんなに眩しくとも、深い闇の中であろうともその使命だけはわたしの遺伝子に刻み込まれていていつだってその使命に意識をこじ開けられるのだ。煮えたぎった瞳で射られるのも、吹き出したきみを浴びるのも慣れてしまった。いつしかこの不快な感覚こそがわたしを生きていることへの証明とわたしのアイデンティティを呼び起こすものとなってしまった。

正解はわからない。わからないなんて言っておきながら、わからないという言葉を選んでしまうあたりにわたしの惨めな後悔の痕が滲む。わたしの望んだことはなんだろうか。この何度も何度も振り上げてきたわたしだけの武器と、わたしのドロドロの価値を手のひらで包み込んでもらうことだったような気がする。跳ね返るきみではなくて、染み渡るきみを頭の片隅で幾度となく繰り返しては、そんなぼやけた夢を生ぬるい現実が拭い去っていった。

試してみたかっただけでは。ザクザクでボロボロにしてしまってもなお、きみからの熱を渇望してしまっていたのかもしれない。花火が引き裂かれて夜空の中に散り散りに溶け込んでいく光景を思い出して、身震いをしつつも痛い愛の破片をまた握りしめて。

青い空に突き刺す光が脳に響いて瞼を持ち上げる

 

 

無題

 

どうも。最近はチバユウスケの話ばかりしてます。

ミッシェルは前々から聴いていたけど最近ROSSOやthe birthdayも全部漁った。本当に格好いいなマジで。ミッシェルの音楽が好きなのかなと思ってたけどチバユウスケの音楽が好きみたいですね。イエモンとミッシェルがガンガンに出ていた時代があったとか、なんか信じられないや。今あの2組がいたらさぞかし楽しいだろうなと思うけど、当時自分が小学生で良かった気がする。お金と時間をどれだけ費やしていたかわからん。そして自分が男に生まれていたらチバになりたい一心でハイネケンラッキーストライクを浴びまくって身体壊してたんじゃなかろうか。南無。

近頃はあーゆーなんていうか男からの支持が厚いバンドがいなくて物足りなさも感じつつ、時代なのかなぁと思いつつ、鬱です。無事今日も落ち込んでいます。ありがとうございます。

 

人と会っても明るくできないし、標準的20代にチバユウスケの話は通じないから別の話題を探すも思い浮かばず結果黙り込んでしまうしご飯もあまり食べれないし。まぁお通夜です

先々のことを考えると恐ろしくないですか。こんな恐ろしさと戦いながら人類は生きていくのか、、?70歳くらいに病気で死ぬとしてあと50年近く何するんだろ。何十年も同じ人と一緒にいるなんて考えられないから結婚は無理だろうし当然人間を育てることも自分の精神力を踏まえるとキャパオーバーだし、労働も自分が思ってる以上に負荷がかかるようで身体おかしくなるし。生き甲斐とは???見当もつかないな

 

スタバで隣に来た女の声がまぁでかいこと、びっくりしたんだけど例の「このハゲ」と叫んだおばはん元議員にそっくりなその女は「私と付き合える条件として〜」と絶叫し始めたから人生を楽しむことの出来る人ってこういうことなんだろうなと。私は楽しめなくてもそこそこでいいです。