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庇護雑記

フィクションだから。

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すごく幸せだったのに、やっぱりだめだった

半月くらいやめられてたのにまた手首を切って振り出しに戻った。切れ味悪いから浅く9本切った。もうだめだ本当に。つらい。未来に期待をするのはやめだ。完全にやめだ。バカバカしい、もうどうでもいい、こんな人生、まっぴらだ。早くめちゃくちゃになりたい、バラバラに壊れて脳とか飛び出して死にたい。無惨な姿で死にたい。ぐっちゃぐちゃに、

 

どうせ死ぬなら荒稼ぎしてみてから死ぬかな、それも全然ありかもしれない

 

 

彼岸

 

 

頭の中でついにちぎれてしまった

必死に手繰り寄せていた糸が

 

 

まだ幼く清廉だったあの頃は、互いの瞳の色素を観察するだけで幸せだった。年上先輩には気をつけろ、変なウォレットチェーンなんてつけないでね、そっちこそ金髪とかにするなよ、煙草なんかもだめなんだからね、なんて約束して別の電車に乗ったらもう同じ駅になんて止まらなくて、激しく色素の抜けた髪の君の写真がTwitterにあがっていたよね。分かってたの、永遠なんてないってこと。全てのものには終わりがあるってこと、全部だよ。人が生まれて死ぬように、感情だって生まれたなら向かうのは死だよ。それがどんな類の感情だとしても。

 

大切だったはずのものが、少しずつ壊れてきて

私は見て見ぬふりをし続けてたのかもしれない。気付いてたのかもしれない心の底では。いつからか盾を構えていたし、口を開くことも少なくなった。心の中にしまいこむものが増えてきた。どうしてだろう。ずっと平気だったはずなのに。私の世界は私だけで満たせていたはずなのに。どうして、こんな風になってしまったんだろう

 

誰のせい?

 

時と環境のせいだろう。たぶん。私は意外と呆れるほどに真面目すぎて、もしかしたら期待をしすぎていたのかもしれない。夢を見すぎていたのかもしれない。期待をしなければ絶望もしない、だなんて、頭では十分理解していたはずなのに、胸に刻んでいたはずなのに、期待を捨てきれないところがあったんだ。盲点だった。ここだけは、期待しても許されると思ってた。期待と絶望は常に背中合わせだというのに。

 

失っても構わないと思った。ほんの少し、20秒くらい。失ってもいいと思うほど、私は確かに失望したのだ。なぜだか裏切られた気分だった。人間に期待する方が負けなのに、いつだって期待した側が裏切られるのに。分かってたのにどうして避けられなかったんだ。

 

理由なんて、簡単だ

幕引きは自分で出来る。どうするかは私が決める。

さようなら、ほど簡単な行為はない

 

 

 

 

 

辛さがどうしようもない

虚しくて悲しくて寂しくてすべてがいや

自分のことが心の底から嫌いだ。

 

友達と一緒なら平気だと思っていたのにやっぱり私はダメなようだ。増え続ける病気に苦しみ耐え続ける。未来を語るのは楽しいものなのかな。わたしはそう思えなくて残念な人間だ。そもそも未来なんてないと、頭のどこか隅の方で考えてる。早く終わらせたい。

 

誰にも捨てられたくない

心がボロボロなのはいつ治してくれるの?

 

焼け爛れる月

 

 

助けてくださいと大声で言いたい

 

新しく登場した私を蝕む病、ヒステリー球

これ、睡眠中に限って出てきて激痛と苦しみで目が覚める。胸の激痛でのたうちまわりながら浅くしかできない呼吸で気が遠くなる、激痛で引き戻される、呻いたり叫んだりする。治療法、なし。

2017年に治療法なしなんてAIDSぐらいしか許されないだろ、いやAIDSももう特効薬が出来てると思ってたよ5年くらい前は。2017年ってもっと未来感あってもっとすべてが前進してると思ってた、全然だめじゃん。なんかもう政情ヤバイしこの先の日本やら世界の未来に希望抱いてる人間いるの?いたとしたらどんだけお花畑なんだよ、絶望しかないだろ

 

 

話が逸れたから戻すけど本当に死んだ方がマシなくらいに痛い、朝方激痛で目覚めて床で絶叫してる私なんのために生きてるの?週イチで発作その後3日は続くこの痛みに治す方法もないまま生きていく意味ある?少なくとも私は意義を見出すことは出来ない。寒くて薄暗くまだ車も通らないような朝にベランダの手すりを乗り越えようとしたところで、私の絶叫を聞いた母に引きずり下ろされる。ベランダのコンクリートに叩きつけられた私はいま右半身全打撲状態だ。なんだよこれ。全身で無事なところ左脚と顔と頭しかない。

 

いますこし平気になってる

でもまたあの痛みで目が覚める日がすぐそこにあると思うと耐えられない、耐えたくない本当に嫌だ。助けて

 

 

 

23才の夏休み

 

 

鬱だ。表向きは。

パニック障害だ。表向きは。

ほんとは、ちがうけど。先生たちが名前を変えてくれてるの分かってる。私の思考パターンを踏まえた上で大枠だけを伝えてくれてる。

誰にどこまで言ったかを忘れた。全部もうしまってしまおう、奥の方で鍵をかけて海中にさよならだ。

今まで生きてきて誰にも言ったことのない話。その場にいた人間の記憶をすべて消してやりたい。というか、存在ごと消したい。でもそんなことできないから、口止めの必要がないように私はうまく生きるしかない。フラッシュバックみたいに鮮やかに蘇るのは私への罰なんだろうか。罪を犯したのは、どちらだっただろう。

そんなの、決まってるじゃない

 

春だ。春が来たからその次は夏が来る。

夏には間に合わない。昔から夏は嫌いだけど、夏が嫌いな理由はなかった。でも今は明確な理由を持って夏を憎んでいる。自業自得、それはそうである。だからといって、そこまで責められることなのだろうか。私の感覚が麻痺しているだけか。

 

いつからか、キャラクターものや動物、小さな子供に対して何の感情も抱かなくなった。可愛いとか愛おしいとか、なんにも思わなくなった。子供の頃サンリオの、なんだっけなもう名前すら忘れてしまったんだけどマイナーでイメージカラーがピンクのキャラクターが好きで、100%「カワイイ」ものが好きな女の子だったはずなのに一体なんの事故が起きてこんなおどろおどろしい絵の描かれたバンドのTシャツを着て寝ているんだろう。

子供だの小さな動物だのに庇護本能を刺激されないのはいささか問題がある気がする。まだ間に合うか。なにに間に合わせるんだ?

 

普通から外れた。普通ってなんだ、と言われたら分からないけど、私と対極の人間が普通の人なんだろうと思う。「自分は変わってる人なんですぅ〜」とかいう自虐風自己陶酔ではなくて、全てを諦め自分が淘汰されるのをぼんやりと眺めているような、そういう感じで私は「普通から外れた」と言っている。

 

戻れるものなら戻りたい、でもどこまで戻ればいいのか分からない。綺麗な、真っ白な、傷ひとつない頃だろうか。それとも、

 

 

眩しい光が注ぐ季節がやってくる、私はその光を狂気のかたまりで受け止めるんだろう

 

 

 

早贄

 

 

飛べるようになったばかりのカラスが意気揚々と飛び回っている姿を見て片っ端からぶちのめしていくという悪い想像に取り憑かれながらノマドワーカーをしている。

次々と羽根を引き抜かれていくことなどつゆも考えていない奴らは、翼がボロボロのスカスカになっていつの間にか高いところを飛べなくなっていることに気付くのにどれほどの時間を要するのだろうか。

鷹になるものもいる。一定数いる。奴らは元はカラスだ。ずる賢くて盲目なカラスだ。率先して路上に転がるゴミ袋に嘴を突っ込み、集合住宅のベランダから針金ハンガーを盗む。スズメが地面をとびはねていれば濁った大きな鳴き声を発して蹴散らす。車に轢かれた猫を見つければ容赦なく腹をつついて腸を引きずり出す。そうして、立派に真っ黒なカラスになっていくのだ。そんなカラスがふとその姿を鏡に映すと、鋭い目つきの鷹として映っていることだろう。おめでとう、エリートの世界。

 

 

 

 

くだらない人生だ、と思わないのだろうか。

頭が良くて優しい人が潰れていく。じわじわと羽根をもがれて動けなくなっていく姿を私は陰から眺めている。私の翼は広がらない。

今、なんとなく思った。戦線で銃を携えて走り始めた仲間のことを、戦線に向かっていく仲間を何列も後から追いかけていた兵士は何を思っていたんだろう。

規模や種類は違えども、本質的にはほぼ同じだ。生きるってことは、たぶん血の流れない戦争だ。

 

 

艶々の黒い羽根を引き抜いてしまいたい衝動に駆られる。遠くの空めがけて羽ばたく姿を撃ち落としてみたい。同じ傷を、同じ痛みを、まだ何も知らない鳥たちに向けて。

 

 

私は、近づいてきたものは食べない。それら全てをお飾りにして本当に求めているものを自分で掴み取る。というか、もうそうするしかないのだ。無防備な生き物は片っ端から捕まえて美しく枝に突き刺してあげる。欲しいものが手に入るまで、適当に小腹を満たすなんてこと、私にはできなかった。

カラスにも鷹にもなれない百舌鳥として。

 

 

 

山田亮一が死んだら私は生きるのをやめる

 

 

NO MUSIC NO LIFEって糸井重里が考えたんだっけ。ちがったらごめん。

そのロゴTを着ながらもヘッドホンを首にかけてるやつ、今お前死んどるやんけ、なんて思いながら、twitterで邦ロック厨たちの謎のハッシュタグ、日曜日だからなんたらかんたらってやつを横目に、bioに「邦ロックは酸素。」なんて痛々しいポエム書いちゃうような輩に寒気を覚えつつも、私は素で、素面で、山田亮一が死んだらこの世に生きてる意味を失う気がしているのです。のーやまだのーらいふ。みたいな。

 

あの特徴的な叙情的な言葉も日常で目に映るものをうまく組み込んだ比喩も好きでたまらない

ハヌマーンの頃は~だの、バズマザーズハヌマーンよりも〜だとかえりっさとかピクミンとかそんなのどうだっていいんだよ。今は重松とせんちょーが支えてんだよ。わたしはその2人と共に爪痕残してほしいと思ってるよ。山田亮一が紡ぐ言葉と掻き鳴らすギターの音を聞き続けられるのなら形態なんてなんだっていいんだよ。潰れて欲しくない。潰されてほしくない。

日曜の夜は、大好きな音楽の渦に飲み込まれながら弊社突然砂になって新社屋がみつかるまで営業ストップにならねえかなとか思ったりしてましたけどそんな生活もあとわずかです。

 

だけど山田亮一の音楽がこの世で更新される限りはまだ死にたくない。山田亮一の生き様をみるためにわたしはまた立ち上がる。さっきからずっと呼び捨てにしているが敬称略だ。

 

 

どんなにきたないことしてもゆがんでも、

あなたは最後まで生きて。

その後じゃないと私は死ねない。