庇護雑記

嘘たち

書を捨てよ町を喰らえ

 

職場のヤバい男に気にいられるという事故が起きる確率があまりにも高すぎる。まじで納得がいかない。こんなもんただただ理不尽じゃねえか。脳内では「気持ちわりーんだよ、死ね」と直接言うシュミレーションが幾度となく行われている。いまは脳内でとどめていられるが、いつ口からそのまま出ていくかはわからない。もはやその時はその時で、どうでもいいやという気持ちもある。逆にもう言ってみたい。言った後に漂う激ヤバな雰囲気と凍りついた同じ部署の人々の顔を想像するといろんな意味でゾクゾクする、最高かよ。絶望的だろう、その絶望をわたしは見せつけるだけの力があるんだ

たまに取り返しのつかないことをやってみたくなる時がある。自分が台風の目になって、徹底的にすべてをぶち壊したくなる。これがわたしの中に眠って時折顔を出す、破壊衝動というやつか。趣味ではあるものの、西洋占星術の知識がついてきたのでそういう時は「あ〜〜わたしの12ハウス火星が暴れてる...」と客観視することでなんとか昇華させている

とはいえ一方的に餌食になるとかメチャクチャに納得がいかないのでわざと全ての人間に愛想を振りまいたり即席で作った不思議ちゃんキャラ()を演じてみたりもする、それはそれでハチャメチャに疲弊するし素に戻った時の自虐衝動が凄まじくてこれまた精神の消耗が激しい。どうしたらいい、なにが正解だ。お前の正解とわたしの正解は同じではない、お前の正解なんかいらない。わたしだけの正解しか今はいらない、そんな顔でわたしのこと見ないで

それにしてもこの世の中自分の気持ちで頭がいっぱいな人間が多すぎませんか。いちいち色んなことに気を遣っていることが本当にアホらしく思えてくる。猛獣に手足をじわじわ食われているような苦痛だ。そんな目に遭ってもなお黙ってエサでいろというのか。結局この世界において若い女なんてエサ以外の何物でもないですよね。知ってますだからこんなにもすべてを壊したい、傷つけられた分の倍は傷つけ返したい。こういう奴らは私の屍の上で陽気に歌でも歌うのだ。ブルースなんか歌われた日にゃ、わたしの破壊衝動は抑えられない

 

 

S a B

 

思えばもう2018年が終わるじゃないか。私にとってのスクラップアンドビルドが行われまくった1年だった。あれほど何かを失うことは怖いと思っていたはずなのに、それこそ取るに足らないものですら何ひとつこぼさぬようにと思っていたはずなのに、案外あっさりと手放し壊し消し去った。

向かいの交差点でひっそりと営業を続けていたタバコ屋がいつのまにか取り壊され、年明けからコンビニに生まれ変わるそうだ。壊されて更地になったところに新しく創造されるものがあるのは古今東西どこでも同じことだ。

新しい人間たちに取り囲まれたわたしは初めて客観的な目を得た気がした。彼らの眼に映るわたしがどのような造形をしているか、ということに対して、どうやらわたしはずっとねじ曲がった考えを持っていたみたいだった。認められたかったことを少し認められた。ほしかったもののいくつかを手に入れた。恒久的ではないにしろ、わたしはそこそこに満足している。なぜなら恒久的ではないということに対しての納得がいっているからだ。

 

けれどももっとほしいものがある、絶対に掴みたいものがある。曲げられないものは曲げられない、そうやって生きてきたし、生きてこれた。わたしは変わらずに生きていく。最近はちょっと貪欲になってきた。ほしいものはどんな手を使ってでも手に入れたい。どれだけの努力を必要とするかなんて分からないけれども、意外とわたしは好きなものに対する努力は苦にならないようだった。隣にはスフィンクスが眠っている。スフィンクスを筆頭にした愛おしい存在のために、とりあえず明日も生命の活動を続けていく。

 

 

渓谷

 

毎週何かしらの入稿があってなんなんだこのスケジュール??と憤慨したりマウンティング女にマウントふっかけられてこれまたブチ切れ申したり、という日々を送っているんだけど同じ部署の同い年の子とランチに行ったら全く同じ不満で怒りを爆発させていたので笑ったしなんかちょっと仲良くなれた。

好きのベクトルよりも嫌いのベクトルが近い人の方が距離が近づきやすくなった。それはきっかり社会人になった頃からだと思う。それがいいかとか悪いかとかなんて現時点では決めたくないと思っている。

仕事でしか繋がっていない人と情緒的な交流をして、凹凸が噛み合う瞬間が好きだ。その窪みがどんなに痛かろうが苦かろうがわたしには関係なくて、プラマイで繋がれた時点でもう奇跡が成立している。奇跡の狭間には風が吹き、水が流れ、小さな命が芽吹くだろう。これもまた運命、好きな人も嫌いな人もみんなみんなわたしの運命とわたしが作り上げた世界の一つなのだ。

 

一度嫌いになると徹底的に嫌いになってしまう、だけどたまに嫌いの値がふっと浮き上がってゼロからプラスの値をさまようことがある。沈んで、再び浮き上がる姿は不死鳥みたいだと思った。不死鳥のきみのことは、わたしはずっと、本当は好きなんだとおもう、きっと。だから安心してほしいんだ。

 

 

zodiac

 

シンプルに電源がついているだけのテレビから死体農場とかいう言葉が流れてきてビックリした。クレイジージャーニーだった。めちゃめちゃ尖った番組だってことだけは聞いたことがあったけど、見るのは初めてだった。

深夜とはいえ地上波なのに干物みたいになった元人間が映し出されてた。元人間なんて言ったら怒られるかもしれんけど、あれが人間だったものであるとは到底思えなかった。皆あーいう風になるのだしなんならあれと同じだ。あれに名前がつけられて、エネルギーに動かされている。元人間はなんていう名前で生きていたんだろう。

 

久しぶりに文章を読んだ。漢字に変換する言葉、あえてひらがなを使う言葉、行間のあけ方や文章のテンポにそのひとの人格が散りばめられていて、その人格のひとつひとつをわたしは拾い上げることができた。ひとつ残らずではないけれども、わたしは確かにその一言一句から葛藤の中に生きる人格を掬った。これはわたしの愛だ。不安定で無色透明の愛だと思った。きみがアウトプットして作ったきみのコピーから、きみを見い出すことができる。この尊さを、切なさをわたしは抱き締めている。

 

命を動かすのは葛藤だ。幸せと葛藤は共存するのかわたしにはわからないけど、たぶん幸せを感じたとしてもわたしの中から葛藤が消える瞬間はないと思う。あの作り物みたいな元人間になるまで葛藤から解き放たれることはないだろう。でも葛藤こそが現世とわたしを繋ぎとめてるのかもしれないと思ったりもする。

実はの話、人間は作り物だ。プログラムだ。だれかのお昼寝中に拡大していった夢だ。なにを言ってるんだと人は笑うだろうけれども、どれが虚構かなんてたぶん元人間になるときまでわからない。もしかしたら、そこからが本当のスタートかもしれない。そう考えたら、わたしがこれまでに抱いた感情すべてが干物みたいになった時のスパイスになるかもしれない。きみが苦しんで嘆き散らした言葉が香味になっていくかもしれない。

 

犬も食わないような不味い人生でいいのか。わたしは美味しくなりたい。きみもなりたいだろう?

 

なんて

 

クレイジーサマーソルト

 

 

理不尽に対する怒りとかは生き生きと存在してるんだけど、明らかに病み要素が自分から激減してしまった。良いことなんだけど、望んでたことなんだけど、やっぱり衝動がないと納得のいくアウトプットが出来ない。なんて諸刃の剣なの

激しくても感情の波があったほうがそれこそ波に乗れるんだなぁ、でも昔には戻りたくないとも思うよね、、価値観がゼロ100の悪影響がこういう形でまた浮き彫りになってる

 

でも嫌悪の感情はもうちょっと薄まってほしい

 

 

モンスター

 

弊社にいるセクハラ老害について考えてる

 

基本的にわたしは他人との距離感がバカになってる人が本当に無理で、一度でも引くとシャッター降ろしてしまうんだけどそういう輩はわたしがシャッター降ろしてることすら気付かないのでより無理になっていく、無理の上塗り無理のミルフィーユ...

 

そもそもなぜ、セクハラ老害たちは自分よりも20歳近く下のうら若き子女に対して微塵もウケない下ネタみたいな発言してしまうのか?単純に頭悪すぎるしこれがお前の今までの人生で培われたコミュ力だとするのなら悲惨すぎるだろ、はやく今世諦めて畜生道からやり直しな

中年以降の人間、イキってんのか知らんけどクソほど役に立たない謎の上から目線アドバイスしてくるのなんなんだ?教えを乞う相手くらい自分で選ぶのでずかずかこちらに侵入しないでほしい、距離感バグいい加減にして

 

アイドルの握手会レポをたまにツイッターで見るけど距離感バグを煮詰めたような惨状が広がっていてまじでエグい、ドン引きされるようなことを直接言って楽しんでるやつ普通に存在が罪だと思うけど自覚するときって来るんだろうか。アイドルのスルースキルを見習いたいと思いつつこれはもう生まれ持った精神性だよなと諦めの気持ちも強まっている

 

明らかに表情に出すのとか声のトーンを最大限に下げるとかシカトするとか、まあ大人としては良くない対応だというのはわかってはいるけど理不尽に負けてあげる理由がないし、目には目を、を大義名分として保身のため私なりの刃を向ける権利があるので容赦はしない

 

今度なにか言われたらなんて返そうかな〜と昨日から考えている、「公式ツイッターにセクハラとして実名あげて書きますよ」が一番効きそうな感じがある

 

 

gy

 

社交的な場面では努めて明るく振る舞うようにかなり意識してるんだけど、明るくて天真爛漫風の人間を演じすぎて前の自分がわからなくなってしまった。わたしこんな喋り方だったっけ?声のトーンもどれが通常だったか思い出せない。24年も自分をやってきたのにこんなに簡単に新しい鎧を身につけられる自分って一体なんなんだ

1ヶ月くらい前に急性咽頭炎になって、処方薬も飲みきってしまったから自然治癒を待っているけど全然よくならねえ。生命力にガッツが足りなすぎる。古代だったら絶対進化に乗り遅れて種ごと淘汰されてると思う。

喉の粘膜がぶつかるとむせるタイプの苦しさが襲ってくるので喉の動きで一番リスクの少ない声の出し方をするようになったことも喋り方が変わった要因のひとつだと思うんだけど、なんだかとても道化を演じてるような気分になる。気の置けない友達に会って話せば元の自分に戻れるんかな。元のってそもそもなんでしょうね

とある専門的な分野について細かく書かれている知らない人のブログを読んでいて、めちゃめちゃわかりやすく書いてくれていたから何回も読んでいたのだけど、さっきなんの気もなしにこの人普段はどんなこと書いてるんだろうって思って適当に別の記事を開いてみたら「嫁がついにガンになった、ざまあ」って書いてあった。なんというえげつない鎧だよ。わたしの鎧なんてビレッジヴァンガードがダズリン着てるくらいのレベルなのに。

好奇心によって知らないほうがいい幸せを引き寄せるエピソードって大体ホラー映画とかでよく使われる手法だと思うけど、なんかそんな物語の主人公的な地雷を踏んだような気分になった。でも昨日めちゃめちゃいい日だったので相殺した。いい日だったんですよね......まじで...

そんな感じです