庇護雑記

嘘たち

なんかもうだいたいロリコンだし

 

そうでしょ。

 

 

全部を放り投げてふらっと誰にも言わずに、最低限のものしか持たずに終点が何地方なのかすらわからない電車に乗りたい。SIMカードを抜いたスマホからアプリを全部消してゆっくりビルが消えていくのをみていたい。そこに音楽があったら最高だ

賭けに出てはみたもののペースが合わないと調子が狂う。だけど上手くいってしまったらそれはそれで困る。モラトリアムな時間だけが延々と続いてほしい、明るいところにはあんまりいきたくないの。私はこのくらいの明かりが丁度いい、今はね。だから引っ張り出されたくない。狙い撃つような照明の前に立たされるのは嫌だ。今は、ね

 

感情と感受性が鈍くなっている。早い。まだ23なのに。今の私と未来の私にとって、23歳の感情と23歳の感受性は何にも代え難いものだというのに、揺さぶられない。電池が切れたみたいになんにも動かないんだ

 

 

昔の、ガラケー時代に更新されていたブログを漁って絶望的に画質の悪い写メを片っ端から保存する。時代に置き去りにされたpodcastの音声データを拾い集めて1つあたり30分〜50分の、約10年ほど前の声に耳を傾ける。10年経っても、声はあまり変わってない。喋り方も同じ。トーンも間の置き方も選ぶ言葉も全部。

10年前でもきっと私は好きだろう。完全なる犯罪になるけれども、その罪すらもギアとなってきっと命を削っても削り足らないくらいに全てを捧げるでしょう。結果全てを失ったとしても、私は安らかな顔で笑みをたたえられるような気がするんだ。中学生の自分よ。そうでしょう、私のことなら。

 

 

そういえばだけど私最後にリンクを貼るのを習慣にしていたのにメンタル仏になってから忘れていましたね。

 

そんな季節でしょう、もう

このMADは鼻兄さんが作ったものでいわば公認のものですね

 

 

 

されど空の蒼さを知る

 

 

当たり前のことではあるんだけど時間というものは滞ることなく流れてしまっているのであって、このまま東京が核攻撃に遭うだとかテロが起きて非常事態宣言が出されるとか、そんな物騒なよその国の日常が日本に持ち込まれない限り、私は来週戦いの場に引きずり出され丸腰に近い状態で戦わねばならないのです。

学生の頃は、ふつふつと滾る野心を隠し持ちながらも結局は普通のOLになって毎日のルーチンワークをこなしているうちに段々と鎮火してしまって、気付いたらそこそこの生活を営んで、適当な年齢で結婚して、なんていうものを想像しちゃったりしてたんですが運命は私にそんなありふれた人生を用意はしてくれなかったわけで

子供の頃から「うわー私の人生ありふれてねぇなぁ事故多いな」とは思ってたけど事故を起こし続けるとはさすがに思ってはいなくて、かと言って今私が起こした事故は革命に転じる可能性がゼロではなかったりして、今訪れているこの事象を活かすも殺すも私次第なのだと言い聞かせて、残りの猶予期間をなるべく心穏やかに波風立たせることなく過ごしていきたいわけであります

青春を回顧する。未だに私は高校時代の友人と有り得ないくらい頻繁に会っているのでいろんな人の情報が入ってくるのだけど、本当に人生ってものは誰も想像のつかないことが起こるんだなぁ〜って思ったりしてる。卒アルを開くと17歳の私たちがマジ楽しそうに写ってて泣きそうになる。皆さぁ、まさかこの人が、あの子が、デキ婚するなんて、起業するなんて、バンドやるなんて、有名になるなんて、ニートになるなんて、思ってた?私はどれも予想つかなかったよ。

予想のつかないことやらかしたい。

びっくりさせたい、やらかしたい。成功したい。爪痕残したい。ただそれだけだ。

 

 

 

ふるいにかけられてくるよね、なんて言葉が友人の口から零れて、私は無意識のうちに頷いた。仕方がないのよ、ーーは悪くないよ。なんて言われて、また私は無意識のうちに頷いた。

腹が立ちすぎてバトルロワイヤルを二本みた。意外とメッセージ性のある映画でさすが深作欣二だなと思った。無意味にバンバン死ぬ映画じゃない。でも無意味にバンバン死ぬだけの映画を好む奴らに愛でられているのも事実であろう。

それから怒りを見た。久しぶりに泣いた。宮崎あおいと同じくらい泣いた。相当だ。

怒り、なんていうのは信頼が裏切られた時とか愛情が歪んだ時とかそういうものが引き金になって湧き上がる感情なわけで、いつも私が怒る時はやり場のない悔しさや悲しみや失望を怒号で誤魔化していたなぁと思って、なんか色々悲しくなった。人間みたいで気持ち悪いなぁ。

私が攻撃に至る意味を、誰も考えてくれなかった。別に考えてくれっていうわけじゃないけど、ただただ感情的な人間としか思われてないんだろうなって考えると虚しいものです

 

 

連絡を途絶えさせる人、嫌いです

 

 

 

 

目の前に伊野尾慧

 

 

がいたのです。

 

 

沼、というものにハマったのは私が就活生の時、24hTVでHey! Say! JUMPがパーソナリティーとして出演していた時のことである。

初めてマトモに顔を見た。断トツに可愛かった。あまりにも顔が可愛すぎた。V6の岡田くんが「伊野尾が可愛い腹が立つ」と言って伊野尾くんが大きく画面に映し出されたわけだけど、本当に可愛かったのだ。衝撃的だった。JUMPって山田涼介と中島裕翔と知念侑李のグループでしょう、と思っていたのに、こんな可愛い子が埋もれていただなんて。

伊野尾くんが爆発的に人気が出たのはその瞬間からだったと思う。伊野尾担、とかいうのが急激に増加したのもその時からだと思う。なぜなら私がそうだから。ロックバンドやサブカル系音楽にしか興味がなかった私をジャニヲタという深い沼まで引きずり落としたのだから。

深夜1時過ぎくらいだっただろうか、もう覚えていないけど、心がズタボロになっていたメンヘラ就活生の前に現れたアイドルは救いそのものだった。画像を漁ってはその顔の造形を隅から隅まで観察して、二重の幅だとか密度の高いまつげだとか、平面にも関わらず弾力が推測できる唇だとかに見蕩れていたわけでした。そんな大学4年の夏でした。

 

月日は流れ社会人2年目、相変わらずわたしは不健康で精神不健全で血の気のない顔に口紅を塗って日本語ロックで聴覚を満たして、ゴールが見えるかすらわからないまま文字を打ち続けて毎日を過ごしてる。約2年の間に色々あった。伊野尾くんも色々あった。仕事の幅が広がって喜ぶべきことが増えてこちらも嬉しかったり、かと思えば知る必要のなかった一面を知らされて本気で落ち込んだりと、伊野尾くんを取り巻く緩急が私の精神的緩急になっていたりした。そこまでになってしまっていたのだ。そこまで結局私は底なしの沼に今も順調に埋まっていて

 

初主演映画が公開になった。いかにもJK向けの青春ラブコメだ。普段バッドエンドやイヤミス好きの私ならば絶対に見るはずのない映画である。好き好んでこんな映画を観るようになったとしたら、私が気が狂った時と思ってくれ。それくらい興味がなかった。でも観にいったのだ。全ては伊野尾くんの銀幕デビュー作だからだ。そのためだけに、舞台挨拶つきの上映まで応募した。

そしたら当たった。

 

 

当たったのだ。舞台挨拶に。私の名義ではないけど、友達がサクッと取りやがった。感謝感激雨あられとはまさにこのことである。しかも前から5列目。めっちゃ通路側。なんなんだこれは

 

当日、私は周囲のガチヲタたちのガチさに怯えた。こんなにいい席は、普通「積んで」入るものなのだ。ジャニヲタの世界には「積む」だの、「相場理解」とかいう言葉が存在する。ガキ共に教えてやろうそれは違法だ、ばかやろう。周りの女がいくら積んだのかは聞かない。わたしは2000円ですなんて言ったら確実にガチヲタ盛り髪厚化粧ピンヒール女に踏み殺されていたと思う。南無阿弥陀仏

 

映画の感想は割愛しますが上映後美月ちゃんと伊野尾くんが出てきた。どうなることかと思っていたけど、周りが騒ぎすぎていたため私のテンションは反比例の如く至極冷静に伊野尾くんの登壇をみていた。冷静に顔をガン見した。可愛かった。すごく可愛かったけど、テレビで見るのと同じだ、と思った。つくづく自分は冷めたつまらない女だ。

マスコミが入って、目が潰れると思うくらいのフラッシュとライトがたかれる中で伊野尾くんが私の隣の通路を通った。伏し目がちに通路を通る伊野尾くんは、顔色も芳しくなく疲れているように見えた。一瞬グレーの覇気のないモヤが見えて、この人は心身が疲れ果ててしまってるのではないかと心配になった。黄色い歓声を浴びて、あんなにも多くのカメラを向けられて、これが伊野尾くんの日常なのか、と思うとなんだか目眩がした。当然だがあんなにもフラッシュをたかれたのは生まれて初めてだ。謝罪会見に引っ張り出されたらこんな感じなんだろうなぁ、なんて思ってた。私、あっち側に行きたかったんだよな、とふと思い出した。頑張れるだろうか。まだ間に合うだろうか。

 

あんなに間近で伊野尾くんを見ることは今後おそらくないだろう。華奢で、肌に疲れのあとが見えて、眠たそうな眩しそうな目をしながら階段を降りていく伊野尾くんは、間違いなく同じ人間だった。とても愛おしい人間だった。それがわかった私はなんて幸せ者だろうか、と思った。

 

アイドルは神格化されがちだけど、やっぱり人間だし、人間であるべきなのだ。人は人として生まれた以上、それを超える要求がなされたら壊れてしまうのではないか。美輪さんとかは平気そうだけど。でもそんなの一握りだと思う。だからいいの。肌が荒れてようが、眠たげであろうが、疲れてようが、人間なのだから当たり前のことだ。私は、伊野尾くんが人間として生きながらギリギリのところで頑張っている姿を見ることが出来て良かった。

 

かみさまになんてならなくていいから、これからも自分らしくあり続けてほしいです。以上。

 

 

 

 

勝ち逃げ

 

 

なんとなく導かれるものを感じて

挑戦くらいはしてみようかなと思った

だめなら逃げればいい、死ぬ寸前までやる

私は他力本願の甘ったれボケとは違う

一緒にされてたまるか

今までずっと自分の爪をたててた

剥げてもボロボロになっても

 

 

てなわけでわたしがスカッと

ストレス解消になる画像集をどうぞ。

 

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では安らかな気持ちで

おやすみなさい。良い悪夢を。

 

 

初恋

 

 

彼のちぎれた腹から吹き出した血を受け止めた時、私は確かに彼の熱を感じました。私を優しく抱きかかえるかのように、頭のてっぺんから肩へ胸へとねっとりとした執着を浴びました。唇を割って染み入る赤い熱は、非常に甘くいつまでも味わっていられるように思えました。

車輪が動き、彼の身体の中にぴったりと収まっていた中身がボロボロと零れ落ちていきました。それは美しい彼の顔からは到底想像できないほど醜く不気味な塊でした。こんなに美しい人の中に、こんなにも生々しくおどろおどろしいものが入っていたことには驚きましたが、それらが彼を内側から支えていたものだと考えると、その塊すらも道端に凛と咲くタンポポや、町の小学生がまいにちお水をあげてやっと咲かせたチューリップのように、愛らしく気高いものに見えました。彼が隠し持っていた美しいこれらを守らなければ、そんな考えが瞬時に頭をよぎり、私は自分の服を伸ばして彼をかき集めました。彼のためなら、私はなんだって出来たのです。

目眩に襲われ吐き気をもよおしつつもなんとか彼の顔の前までたどり着くと、その顔は真っ赤に染まってはいたものの、表情をつくる筋肉は弛緩しきっており、何の苦しみも感じなかったかのように穏やかな表情を浮かべていました。愛してる、と何度も言ってくれた、だらんと下がった彼の舌を口の中にしまい上下の唇をしっかりと合わせました。そのあたりから、周りの音がより一層騒がしくなったような気がしますが、そこからの記憶は途絶えています。

 

 

最後に浴びた愛する彼のすべては、私にとって永遠に忘れられない感覚なのです。ほんの少しでも彼の存在を感じたくて、自らの腕を噛んだりもしますが、ただひたすらに鉄の味しかしません。あの時感じた甘味は、一体なんだったのでしょう。彼の断片が私の中にまだ残っていると信じて、私は腕を噛み続けているのです。すべては、彼をまた感じるためです。

 

 

 

記録

 

 

別に深い意味なんてなかったわ。

灰色の分厚い雲が脳内に垂れこめてくると急な雨に備えて傘を探したり、屋根のあるところまで走ってみたり、そんな感じで、誰だって雨をしのぐでしょう。ずぶ濡れになるなんて嫌じゃない。あなたもそうでしょう?

それと同じです。私は雨に打たれないように傘をさして建物の陰に隠れた。別になんでもよかった。誰でも良かったのよ。それで自分が風邪をひかなくて済むのなら。

アルコールで酩酊してずいぶんと楽しそうなあなたも結局私と似たようなものね。目的は現実逃避、目標はゼロ地点。なんにもないって分かっているけど走り続けるのは果たして本当に不幸なのかしら。希望を見据えて山道を走った挙句の崖よりは、よっぽどマシだと思うわ。もし惰性で生きていくことが出来るとするならば、それが一番の幸せ者ね。だけどそんな無味乾燥な幸せなんていらないわ。

自分を満たすためならどんな出費も犠牲も厭わない。飽きたらまた売りに投げればいいのだし、踏み潰された愛だってどうせ使い捨てなのだからまた新しいものを作ればいいわ。そうやって自分の中でサイクルを作るの。賢いと思わない?私はひとりで、欲しいものをなんだって手に入れてるのよ。

 

上からこうやって見下ろしてると、全てを手に入れている気分になるの。それと同時に全て失くした気分にもなるわ。手に入れるということは、失うというリスクも伴うのだから当然のことよね。失うということはどれほど怖いのかしら。どれほど憐れな目を向けられるのかしら。それはね、まず得てみないとわからないものなのよ。

 

私は別に失くしてなんかないわ。それなのに何故そんなに哀しそうな目で見るのかしら。私はきちんと傘をさしてるのに。私は綺麗に着飾って大好きなもので五感を覆い尽くしているというのに。幻想?そうね、幻想に浸って戻ってこれなくなってみたいものね。

 

 

朝よ。早起きね。

 

 

球体について

 

 

ずっと隠していたことをバラしてしまった

本物の私を見たかはわからないけど、まあたぶん確認しただろう、と思う。すべての人が受け入れてくれるなんて思ってない。怖がって逃げていく人がいたとしても引き止めない。引き止める資格なんてないから。

でもやっぱり知られたくなかった。今知っている人は何人だっけ。6?わかんないや、気付いてても何も言わないでいてくれる人もいるし。そもそも隠しきれるわけがないんですけれども

 

 

一定の条件が当てはまると感情のコントロールが効かなくなる。プツンと切れたら私ではなくなる。そんな自分にはうんざりだけどそれでもどうしようもないからロラゼパムでなんとか抑えようとしてまた浸っていってしまう。一生このままかもしれない。別にそれでいいと思う。ずっとずっとこんな小さな弾をかじり続けてそれで私が正常な人間としての演技をしていけるのなら私はそれで構わない。

いつか耐性がついて、追いつかなくなって、人格を手放してしまった時がきたらわたしは自ら命を絶つだろう。本意じゃないだろうけど、結果としてはそうなるんだろう。その時受ける罰は正常な人間が命を投げ出した代償と同じなのだろうか、少しくらい、許してもらえないだろうか。