庇護雑記

嘘たち

にがい


もうやめよう

得意でしょハサミ
ばっつんばっつん切っていいよ
絡まってるもの全部ちょん切っていいよ
あ、青色だけは避けてね
爆発して一緒に吹っ飛んじゃうよ


緑のアイスが好きだって言ったじゃない
何にも覚えてないんだから
トムヤムクンだけは大丈夫だったって
エビが入ってるから大丈夫って
ネギは入れないでって
パクチーなんて以ての外だって
ねえ、なんで



もーいいかい
まーだだよ
まーだだよ

もーいいかい



まだだよ



21年目、まだみえます視界良好ですそれが辛いです嫌なものたくさん見えます
21年生きたけど今の私は4代目だからまだ4歳になったばかりなんですやめてください
どうしてずっと透き通っていられないの
なんで私のこと人間にしてくれなかったの
やっぱりこれだな
私が息苦しい30%はこれだなあ
ずるいね
綿あめ喉の奥まで突っ込んであげるよ
私と綿あめどっちが先に溶けるかな
涙のせいで私の方がたぶん早いね


がんばってよ
私はもう頑張りたくないよ



SNSなんかみたってね
私の4%くらいしかわからないよふふ



きょう、み、ない、以上


混雑

 

物語は一般的にハッピーエンドが好まれる。多くのフィクションにはハッピーエンドが用意されている。主人公に選ばれた人は様々な困難を乗り越え、ゴールのハッピーエンドを手にする。そして感動的な音楽とともにエンドロールが流れる。万人が納得、満足する結末。ぬるま湯みたいなハッピーエンド。そんなぬるま湯のために、冷水を浴び犠牲になる人々がいる。

物語には脇役がつきものだ。主人公の座を与えられなかった人々は自動的に脇役となり、彼らの多くは意に添わない悲劇的な結末を受け入れることを強いられる。そして脇役たちは痛い辛い結末を拒否することは出来ない。なぜならそれが、主人公がハッピーエンドになるための絶対条件であり物語を完結させるための必要条件であるからだ。幸せになる人がいる一方で必ず不幸な人が生まれる。窓を開ければ一握りの幸せと、それを支える大多数の不幸で成り立っている

私がどちらかだなんて、言うまでもない

 

ハッピーエンドが苦手だった。作り物、虚飾感、嘘偽りの香り。上澄みだけを掬ってきれいだね、きれいだねって言って、それを生成するために存在していたはずなのに今ガラス瓶の下に沈殿しているあの塊は一体何のために、そんな声すらも届かずに捨てられる、燃やされる灰になる

全人類が幸せになるなんてそんなことは空と海がひっくり返ろうが絶対に起こりえないことだ。夢物語、絵空事。主人公に撃ち殺された悪に手を染めた奴ら、彼らがなぜその手を悪に浸さなければならなかったのかだなんて描かれることはない。誰も興味がないからだ。傍観者たちは主人公が幸せになれば、それだけで十分、身体の3箇所を撃ち抜かれて血を吐いて死んだやつのことなんて、興味がないのだ。興味がない、それだけで切り捨てられたものが山のように積み重なっていく

積み重ねていった私、積み重ねられていった私、自分だってわかってる、そして見えてる、今私の手に握られてるものが何なのかくらい。カミソリなのかキャンディなのかスパナなのかチョコレートなのか

両手いっぱいに相反するものを抱えて私はこれからどこにいく?一歩歩くとボロボロこぼれていくピンク黄色水色白黄緑オレンジ

煙みたいに消えてく私の存在を示せるのはこのこぼれたキャンディ全然甘くないキャンディ

拾って口に詰め込んだならば喉を詰まらせて息が苦しくなる

ぶっ倒れてねえ助けてって そんな風にしか生きられなかった私

転がってくる赤い飴玉毒々しい色をした飴玉 舌を痺れさせ目の前が遠くなっていく

あれは飴なんかじゃない、毒だ

だけどずっとそれが欲しかったんでしょ


まわる

真夏の高校 体育館の暑さとか
リプトンの紙パック500ml バレーボールが飛んできて中身がこぼれる
誰かのジャージが積み重なったロッカーの上埋もれるリラックマのぬいぐるみ並べられた赤本
中庭の木陰 風で散らばるトランプ
ねえサフランって何時までだっけ
誰かが私の名前を呼んでる
だれ

けたたましく朝が訪れる
視界に流れ込む水色 絶望の朝
弾丸が貫いていった
透明の血がだらだら流れていく
でも誰も気付かない 本物の血を吐かない限り誰も気付けない
小指の赤い糸で首を吊らないでよ
手首に白いビニール紐を巻きつけて結びつけたって本物にはなれない
ハサミでチョキンそれだけでさよなら

世界が遠くなる白い靄に包まれてく
肩にぶつかったあの男の感触もない
今何時だっけ何時でもいい
このリンゴを投げたとしたら世界は変わる
少しだけ動き出すことを期待してリンゴの爆弾をバッグに詰め込む
みかんでもいいよぶどうでも
なんでもいいよ簡単に動き出すから
そんなもんだよ世界なんて脆いんだから
人の作り出したものなんだから

真夏の高校 体育館の暑さとか
リプトンの紙パック500ml バレーボールが飛んできて中身がこぼれる
誰かが私の名前を呼んでる
行かなきゃ

水色だ、うるさい朝だ
気味の悪い世界の繰り返し
このリンゴ一つが世界を変えてくれる
だけど投げられない
手首のビニール紐が邪魔で

真夏の高校 体育館の暑さとか
リプトンの紙パック
500ml

嫌だ来ないで行きたくない
世界なんてどうでもいい
Uターンしよう この先は行き止まりだから

真夏の高校 体育館の暑さとか

真夏の

そめる

 
今さらながら靖子ちゃんの1stメジャーアルバム「洗脳」がとても良い
全部好きだけどyoutubeにない曲の中なら子供じゃないもん17と焼肉デートが好き
嫌いな食べ物教えといたじゃん 全然覚えてくれてないなんて see see see いつか死ぬ時一緒じゃなくていいって証拠じゃん
可愛い...しみる...
靖子ちゃんはとても出来が良くて可愛い思考回路を持った人だ



円錐って横から見たら三角で上から見たら円じゃない、人間もそれみたいに角が立ったり丸くなったりいわゆる二面性っていうものがありとあらゆる人に存在してるわけで
君が見てるその形は本当にその姿しか持ち合わせてないのかな
私の横顔を左からしか見たことがないのに本質を判断するなんて愚の骨頂だよ
私の本当の姿はどんな形だと思う、目をよくみたら二重じゃなくて三重なこと、肩のホクロ心臓のマークを君は知らない
つまり誰も本当の私を知らない
そんな私も君の横顔を右からしか見たことがないのに杞憂に浸るそれも愚の骨頂
でもそれが人間の宿命なら何も言えない
皆苦しいんだよ。目に見えない糸がたくさん首に絡まって強弱つけられながら引っ張られてるの
その糸が見えるか見えないかの差
引っ張られてるのに気付くか気付かないかの差
真っ直ぐな線を見るたびに幸せが遠ざかっていくのを感じる
私も幸せになりたかった
 
 
どっかんばっきゅんぼっこーんなってざくーっやったからサロン行って髪切った。気分転換になってよかった。静華さんとたくさん話せて楽しかった
 
 


椎名林檎 - 本能 - YouTube

ギブスと本能の時の林檎がカワイイの全盛だと思う
私当時6歳だったと思うけどこの曲好きって言ってる6歳嫌だな
たぶん単純にナース服でガラス割ってるっていう映像が好きだったんだろうけど
なんせ超可愛いし

たえる


やっぱり夢なんてみられない
叶ったためしがないから
期待をするなんて無駄だ
最後は裏切られるから

きえていく
私は取り残される
波打ち際から動けないのが私
足下の砂が波に掬われてバランスを崩すのが私


雨の降るなか傘を差して校庭を歩いてる
朝礼台まで雨に濡れた本を取りに行く
そこまでの道にかつての同級生2人が立ってる
2人とももうこの世にはいない
1人は私の憧れの対象でもあった友達
もう1人はクラスメイトだった男の子
その2人の前を私は通り過ぎてびしょ濡れの本を手にとってページをめくる
雨が強くなってくる
傘に当たる雨の音が大きくなっていく
振り返ると2人と目が合う
私はセーラー服のスカーフの結び目を握る
雨がさらに強くなっていく
雨音が私の声をかき消す


こんな夢を何度か見てる
なんでこんな夢を見るのかわからない
私の中で何らかの後悔があるのか
もしくは何らかの暗示なのかそれとも
ただ雨は冷たい。すごくすごく冷たい
でも2人の目はあたたかい
なんなんだろう、これ


もうこれ以上何も失いたくない
これ以上抉られたくない
傷つけるのも傷つけられるのも嫌
誰かが消える前に誰よりも先に消えたい
寂しいのはいや 哀しいのもいや

心に穴が空くという表現は正しい
身体の真ん中に穴があいて冷たい風が通り抜けていく
そんな感覚を私は10年以上前から感じてた
そしてその穴を埋められないまま
夢で差せたはずの傘も差せないまま
びしょ濡れになりながら冷たい地面に倒れて
指先からだんだん温度が失われていって
雨で涙が薄められて唇の色が奪われていって
ねむたくなっていく

私その時笑ってんのかな
最後に思うのは多分
指を掠めることも出来なかった希望への嘆き

私的檸檬

 
教授が言ってた「人生はバランスシートではない」という言葉がすごく頭に残ってる。自分の辿って来た道を振り返る時にどの方角を見るかで全く違う結果になると。
 
夜中にベランダに出る。身を切るような寒さが生きてる実感を強引に押し付けてくる。でもここを乗り越えてしまえば一瞬でバラバラになっちゃう。人間は脆いからあっさり死ぬ。本当に、あっという間に死んじゃう。私のマンションよりも高い建物はずっとずっと向こうにしかないから遠くの方まで見渡せる。信号と街灯の光しか浮かんでない中にぽつんと窓から漏れる光が白や青、赤に変わってる家を見つける。
あっ、夜更かし。いけないんだー。私と一緒だね。
ねえ、この時間の冷え切った空気を感じているなんて背徳的だと思いませんか。草木も眠っている時間だと言うのに何をしているの。
「東京を吹っ飛ばすための小包を作っています。これで10個目になります。」
そっか。私はね、私は...
部屋の白い壁にアクリル絵の具をぶちまけたりしてる。トラックの前に飛び出して僕は死にませんとか言ってみてる。セーラー服を着てショットガンぶちかましてる。街をギター掻き鳴らしながら歌いながら走ってる。現金輸送車を乗っ取って奪った1億円の札束全部、東京タワーの展望台からばら撒いてる。
既存のもの全て壊しちゃおうよ。現実なんて超くだらないじゃん。いまあなたを縛り付けているものなんてね、取るに足らないものなんだよ。
 
なんてねうそぴょん。
 
奇妙な共犯意識が芽生えて孤独感が薄れていく。
人を生かすのも殺すのも人だ。事実私は人によって生かされているのを実感しているし、私が死ぬ時は人によって物理的にもしくは別の観点から殺された時だ。病死は別として。
 
人が生きていく上で一番必要なものってなんだろう、かれこれ3年以上真剣に考えてきたけどやっと最近分かってきた気がする。まだ仮説の段階だから結論とまでは言えないけど。
でもきっと間違ってないと思う。
自分の命に関して価値を見出すことは難しいし、だからといって付加できるような価値もない。どれだけ着飾ろうが中身が空虚ならば全く意味がない。だけど私の目だけは特殊で価値のあるものだと思えるようになってきた。私だけに見えている世界がある。少しだけ青みがかってるかもしれないけど、そこには私にしか気付けないものがたくさんある。私にしか切り取れない事実がたくさんある。それを教えてくれたのは友人だ。その瞬間、私を生かしたのは間違いなく彼女の一言だ。
 
私は心身共に構造が本当に複雑で、余計なところが精密すぎるからすぐにエラーが出る。だけどその代わり他人のエラーには人一倍敏感だ。残念ながら博愛主義ではないのでマザーテレサ的な「万人を救い、万人を愛します」なんてことは潔癖的偏愛の私は口が裂けても言えないけど、大切な人たちだけは救っていけるかもしれない。私にはもしかしたらそういう力があるかもしれない。その力を発揮できた時、私が生きている意味を見出せたり私の命に価値がついてくるのではないかと思った。やっぱり私は幸せに触れてみたいし、私のこの腕で誰かを深淵から引き上げてあげたい。
せっかく生まれたんだもん。せっかく、生きてるんだもん。



 
 
林檎昔から超可愛いよ。いじったいじった言われてるけどやってないと思う...ホクロ移動しただけだよ...